エイチマンのブログ

トライアンドエラーそしてサクセス

お金は命

Time is money.という言葉は有名だが、私たちは働くことでお金を得る。

自分の人生という時間と引き換えにお金をもらっているという側面もある。

祖母が入院していてお見舞いに行って来た。

病院にいる人達を見ると人間の人生という時間は有限であり、いつかは終わりが来るんだなと思う。

 

病気にならず、健康で居続けるのが最も良いが、病気になった際にお金があれば、個室で入院できるし、高度な治療や予防策を受けることができる。

 

ある意味、病気になったとしてもお金があれば命を買えるわけだ。

(そもそも医者にかからずに死ぬまで健康でいたいものだが)

 

ただ不思議なもので自分の時間(命)を対価にもらったお金で行きたくもない飲み会にお金を使ったり、パチンコをしたり、高額な商品を買ったりする。

 

自分の命を使って自分のしたくない事や無駄遣いをするというのは残念な気がする。

 

自分の命の結晶であるお金を自分の命を削るタバコや過度の飲酒や風俗等に使うのは、ばかげているといっても良いと思う。

 

時間もそう。わけのわからない付き合いで時間とお金をかけて行きたくもない所に行く。あんた何してんのって感じだ。

 

本人の時間とお金なので何に使っても良いというのは大前提ね。

 

誰かにプレゼントするという行為も自分の命を相手にプレゼントしていることと同義だ。食事を奢ることもそう。奢られるほうはご馳走様です!で済むかもしれない。

 

奢る方もそんなことを考えていないかもしれないが、でも気持ちあっての事だと思う。

(考えすぎでしょうか?笑)

 

何が言いたいかというと自分の時間やお金は良く考えて賢く使ったほうが良いということ。当たり前の結論なんだけど…笑

でも自分の時間もお金も無意識に使っている人は多いんじゃないかな。

 

今、入院している祖母からは大学の入学祝いに腕時計を買ってもらった。

いわゆる高級なやつだ。

今は弱々しい祖母だけど、当時その金額を出してくれたわけだから感謝だ。

 

相手にその金額の腕時計を買ってあげるというのは余程の相手じゃない限り、今の私でもできない。

 

早くお金を稼げるようになろ~笑

お金≒命。

お金と健康と愛があれば幸せな人生を生きていける気がするな。

何事も本気でやるから面白い

勉強も仕事も趣味もスポーツも本気で取り組むから面白い。

余裕で出来ることを本人の範囲でやったって感動はない。

 

走ったことのないフルマラソントライアスロンを完走した時の感動はなかなか大人になってから体験できるものではない。

 

昨日のブログでも書いたが大人になったら本気でやるチャンスが少なかったりする。

 

良い高校に入り、勉強して良い大学に入って、良い企業に入ってからはエスカレーターのように社会人生活が始まる。

 

副業や起業が一般的になってきているが、最初に乗ったエスカレーターに定年まで乗り続けるのが楽だし、挑戦しなくても良いストレスも少ないかもしれない。

 

これは個人の価値観なので良い悪いではない。

良い企業に入ってお給料をもらって家族を養うというのも立派な事。

心から本当に素晴らしいと思う。

 

自分は何だか満足できない性分なので何かに挑戦したい。

達成した後の景色が違うからだ。

 

フルマラソン完走後はフルマラソンというのがどんなものか分かるし、ギネス記録をとった後は準備すればギネス記録なんて取れるのが当たり前になる。

 

山を頂上まで登ったら、そこからはもっと高くて綺麗な山がたくさんあった事に気付ける。

 

今まで手に届かなかったものが当たり前になり、次のステージが用意されている。

 

ただそれを味わうには何度も「できない」を味わったり、途中で投げ出したくなったり、自分にはできるのか…と思ったり、試行錯誤しながら達成に向かっていく。

 

その過程は本人は本気なので面白かったりする。

そしてその瞬間が知らず知らずのうちに成長している。

後から振り返ってみても良い思い出になる。

 

大人になってから成長する秘訣はやはりチャレンジにある。

大人は行きたいところに行く自由がある。

プレッシャーが人を大きくする

社会人になってからプレッシャーがかかる機会が少なくなった。

学生の頃はテストが定期的にあったり、部活の試合があったり、初めてトライする事がたくさんあった。それからは基本的には逃げることができなかった。

学生の頃は選択の余地がなく、プレッシャーがかかっている時にはもう人生が終わっちゃうんじゃないかってくらい当時の自分にしたら一大事だった。

 

しかし、前にも書いたが大人は逃げることができる。

会社が大人版学校という位置付けっぽいが、実はそこは自由な空間だ。

 

その仕事やりたくないなって思えば、何かに理由をつけて逃げることはできてしまう。

(やり過ぎると出世できないけどね笑)

 

でもどんな場面で成長したか振り返れば、プレッシャーがかかる場面でしか成長できなかった気がする。

 

人間は本当に弱く、言い訳の超天才だ。

時にそれは本人が言い訳だと自覚していない場合すらある。

だからもし自分が最近、楽だなぁっと感じるのであればそれは良くない兆候かもしれない。順風満帆で右肩上がりの人生がそりゃいいが、やることをやらない限り、良くはならない。

今の環境に慣れてしまったら「茹で蛙」になってしまう。

「ゆでガエル理論」とは? - 『日本の人事部』

 

私の場合は頑張る時と頑張らない時が極端なのであまり良くないと思うが、毎日ちょっと大変ぐらいがちょうど良いと思う。

 

自分のなりたい姿を描いて、それを毎日の行動目標までブレイクダウンして毎日粛々と頑張る。それが右肩上がりに良くなる鉄則な気がする。

 

だから自分で課題を設定してそれをクリアしながら自分のなりたい姿、欲しい物を手に入れていく人生が良いと思うんだな。

結果と過程どちらが大事か。

結果と過程、どちらが大事だと思いますか?

こういう議論って答えがないので盛り上がるんですが、私は最初「結果派」だったのですが、考えが変わって「過程派」に変わりました。

 

「結果を出せ!」「結果が全てだ!」

 

と良く聞く言葉です。

確かにそうなんだけど、私の場合、結果ばかり気になっちゃってぶっちゃけ疲れちゃいます。

例えば、ある試験に何としても合格したいと思ったら受かるかどうか不安ですよね。

 

あと何点あげなきゃ…、落ちたらどうしよう…、良い点とれるかな…

 

と考えてしまいます。

ただそれを考えている間は行動が止まっています。

それを考えている間はその結果に近づいてない時間なわけです。

人間なので結果を気にしてしまうというのは仕方がないことだと思います。

面白いのが心配すればするほど、一生懸命な気分を味わえることです。

何だかいかにもやっている感じを体験できるのです(笑)

 

フルマラソンを完走したければ止まらずに前に進むことです。

止まっていては絶対に完走できません。

ただ歩いていれば遅かれ早かれ完走はできます。

ご存知の通り、大切なのは「行動」なんです。

 

私は何でもかんでも頑張る必要はないと思っています。

会社の売上でも自分が納得できなければ「何でそんなもん売らなあかんねん」と思ってしまいます。

 

しかし、自分が本当にこれは達成する価値があることだと思い、達成すると「決めた」ことであれば、自分との約束としてどんな時間がかかったとしても達成しなければ絶対にダメだと思います。

 

何故ならそれは自分の人生を諦めることと同義だと思うからです。

自分には価値があって、自分の1回きりの人生を悔いなく生き抜きたいと思うのであれば、自分が決めたことは必ず達成した方が、自分にとっては良いと思うんだな。

 

ま、これは僕の意見ですから皆さんはご自由にね(笑)

好きなことを仕事にすべきか否か

今日のテーマは誰もが一度は聞いたことがある話だと思う。

 

「好きなことを仕事にすべきか否か」

 

いろんな解釈があって、本やテレビや訳分からん先輩風やらによって「辛いのが仕事だ!」とか「辛い時が成長しているんだ!」みたいな根性論が20代の私には刷り込まれた。よくある話だと思う。多くの人があなたに対して心から良かれと思って言っていると思う。叱咤激励する方も大変だからね。

 

でも今思うと部分的には合ってると思うんだけど、求めているものやバックグラウンドが人それぞれ違うから一部分だけを切り取っても伝わらないし、誤解してしまうと思う。

 

私は今無職で仕事から離れて3ヶ月目になる。訳もわからず社会に出てとりあえず8年働いたけど、純粋な自分が戻ってきている気がする。それは多分、高校生くらいから変わっていない。何故なら良いのか悪いのかわかんないけど、いわゆる「将来やりたいこと」つまり将来こんなことできたらいいなというイメージが高校生の時に思っていたことと変わっていないからだ。

 

高校生の頃は外交官に憧れた時期があった。英語を使って日本人以外の地球人と楽しくコミュニケーションがとれてお金がもらえるなんて最高じゃないかと思っていた。高校生だから職業なんて10個くらいしか知らないからそんなもんだ。

 

社会に出て知っている職業が100個くらいになったら自分のやっぱりなりたい姿が明確になってきた。一度の人生だから自分に正直に素直に生きて後悔なく死んでいきたい。この年齢になるとまじで人生考えてきて自分の理想に忠実に欲張って生きたい!と思うようになった。

 

youtubeのキャッチコピーで

「好きなことで生きていく」

というのがある。


好きなことで、生きていく - HIKAKIN - YouTube [ Long ver. ]

そして若い人のなりたい職業にユーチューバーが上がったのも話題になった。

多分それは「楽しそうだから、楽そうだから」という理由が多いんじゃないかと思う。しかし、やった人なら分かるけど、結婚式の余興とかで3分の動画を素人が作ろうとすると超々々大変だ。私は3週間くらいかけて3分の動画を作った(笑)

 

ユーチューバーを職業としている人はそれをほぼ毎日上げるわけだから大変だと思う。しかも毎月サラリーマンのようにお金がもらえるわけではなく、再生数が伸びなかったら飯も食っていけない。

 

ただ私は敢えて言うが好きなことを仕事にするべきだと思う。正確に言うと私が高校生の時に描いた夢のようなものを追いかけた方が本人は幸せだと思う。じゃなきゃ俺の人生は何だったんだ。人から言われたことをやるだけの人生だったと私は思うだろう。

 

ここで言いたいのは

「好きなことの為ならある程度の努力をするのは覚悟できて他の事をするよりはまし」

なことを仕事にすると良い。自分でもまとまらなくて日本語が訳分からない(笑)

 

人間のメンタルは性質的にヘタレとしてできている。大変なことをしたくないという生物的な何かなんだろうが、何もしなくても飯を食っていけるほど、世界は簡単にできていない。

 

ここで例え話。

今あなたは砂漠にいる。水1本しか持っていない。

どこかに向かわないとじきに死んでしまう。

見渡すと半径100キロ以上先にぽつぽつと建物が円状に点在しているようだ。蜃気楼のように建物が見える。近代的なビルもあれば古風な建物、森のようなものもある。山っぽいものもある。あなたはどこかにとりあえず向かわなければならない。

どこに向かうだろうか。

例え話終わり。

 

その目的地に向かうためには歩かなくてはいけない。

何事もあることを実現するにはある程度必要な努力ややるべき事がある。

それをやらずに生きていくというのは砂漠の真ん中で止まっているのと同じかもしれない。

 

向かっていった建物がだいぶ見えてきて廃墟だったことに気付いたらまた別の建物を目指す。それを繰り返せばきっとあなたがお気に入りの建物にはいつか辿り着ける。仮に見つけれなかったとしても自分の辿ってきた道については誇りに思えると思うんだな。

試験に受かりそうな人・落ちそうな人

(この記事は超主観的に書かれていますので参考になる部分だけお使い下さい笑)

 

私は今まで勉強時間が大量にかかる資格勉強をしたことがない。

最も勉強時間を要したのが大学受験、その次が簿記2級。あとはこまごま。

 

私は学生の時に正直言って勉強してこなかったし、勉強が特段できるわけではないと自分では思う。ただ今になって勉強の重要性に気付いて集中的に勉強している。

 

勉強の出来る出来ない、試験に受かる受からないは能力(脳力)や才能と言った正体不明なものに寄るところは少ないと私は思う。

 

全くもって自慢になるが、私は県内で一番の進学校に進学できた。

(親が塾代を払ってくれたおかげです)

中学校の時点で実力テストで2番だった。1番の友人も同じ高校に入った。

 

私は高校時代、部活とゲームに明け暮れ、受験勉強ほどほどに中堅私大に入った。

中学校で1番だった彼は東京大学に入った(笑)

 

言うまでもないが、1番の彼は勉強していた。

私が部活とゲームに明け暮れる間に彼は勉強していたのだ。

ここから推察するに高校入学時点までは私と彼はほぼ同じ学力だったが、勉強によって差がついたということがわかる。高校時代に私がアホになったというの前提は除きます。

 

話が遠回りしたが、要するに能力・才能うんぬんではなく、試験や資格に受かりたいければ「勉強すればいい」なのだ。笑(当たり前の事言うなよって感じですね)

 

「勉強をする≒試験に受かる」=集中力×時間×やり方

 

だと勝手に思っている。

 

私が毎日勉強している場所は大きな図書館だ。

そこには多くの受験生や資格試験に挑む人達がいる。

いろんな人がいてそこで受かりそうな人と受からなさそうな雰囲気の人の特徴をつらつらと書いてみる。実際の試験の合否は当然だが私には知り得ない(笑)

 

【受かりそうな人】

1人で勉強している。もしくは2人。

そして話さずにテキストとにらめっこしている。

 

【受からなさそうな人】

3人以上で来てお喋りしている。

 

【受かる人】

携帯が机の上に置いてない。

 

【受からなさそうな人】

携帯を机の上に置き、携帯に繋がったイヤホンで何かを聞いている。

 

【受かりそうな人】

常に手にペンを持っている。

 

【受からなさそうな人】

手に携帯を持っている。

 

【受からなさそうな人】

コンビニの袋が足元にあり、何か食べている。

 

【受からなさそうな人】

居眠りしている。

 

【受からなさそうな人】

みんなで誘ってどこか休憩に行って帰ってこない。

 

【受かりそうな人】

毎日定時に出てきて座ったらすぐに勉強を始める。

 

【受かりそうな人】

決まった時間に休憩をとっている。

 

【受かりそうな人】

眠たそうな時は短時間寝ている。

 

【受かりそうな人】

ペンケースが立っている。

 

 

まだまだたくさんあります。。。

 

 

こんな事書いているお前が一番、受からなさそうだわ!!!という突っ込みは承知の上です(笑)

 

私が適当に書いている記事なので試験の良し悪しとは全く関係ありません。

あしからず。何かの息抜きになれば幸甚です。

 

では勉強に戻ります(笑)

成果には従順に

多くのことには正しいやり方がある。

健康管理・人間関係・仕事・勉強・趣味・資産管理など…

多岐にわたってうまくいっている人とうまくいっていない人が存在している。

 

多くのことには「正しいやり方」が存在している。

でもうまくいっていない人は「自分のやり方」にこだわる。

 

確かに自分で考えてこれでいけるっしょと思って、うまくいったら何だか気持ちが良いし、自分を認めてあげたくなる。

ただそれは初めての事には通用しないかもしれない。

それでも自分のやり方にこだわる人はいつかは達成するかもしれないが、時間とお金を無駄遣いすることになる。

 

だから世の中に存在する「正しいやり方」≒「成果がでるやり方」に対しては素直に従ってみる価値がある。

ピカソだって若い頃はデッサンをかなりの量、製作したのは有名な話。

 

オリジナリティを出すのは基本に忠実にしてからでも遅くないかも。

「やってみて『ダメだ』とわかったことと、はじめから『ダメだ』と言われたことは、違います」 イチロー

頭でっかちな人間は良くない。

私も含め、やる前からどうのこうの言うのは残念なことだ。

 

平日日中にやっているテレビやスマホで見れる情報は批評家みたいな事をばっかり言っている。面白いのが、超一流のやっている人はそんな所には出てこない。

 

イチローが人様のことをとやかく言っている場面はほとんど見ない。

中途半端な人間がどうのこうのっているような気がする。このブログも含めてね。

仮に自分がテレビに呼ばれたら立派に批評する側にまわる自信があるが…笑

 

何でも一度は自分でやってみた方が得るものは大きい。

42.195km走る(マラソン)のとブラジル(日本から17,000km)に行くのはどちらが大変だろうか。比較対象が平等ではないとかは度外視ね。

ラソンを走ったことがない人は、ブラジル行くほうが大変でしょ。

という人が多そうだが、実際に走ったことある人ならブラジル行く方が楽だと感じる人も出てくると思う。私はフルマラソンを走るより喜んでブラジル行きを選ぶ。

とやかく言う人は地図上でその距離を見ているだけだと思う。

 

だからアドバイスを求めるなら達成した人に求めるのが良いと思う。

多分、現在自分の周りにいる人は自分と同じようなレベルの人なので隣の人には聞かない方が良いと思う。

新しい場所に向けて出発しようとするなら既に新しい場所にいる人に聞くか、黙ってそこに向かって歩き始めるのが良い。

 

という事で私は健康の為に11月に人生初トレイルランニング30kmにエントリーした。

誰が好き好んで山道を30kmも走らなあかんねん。という気持ちが湧き上がってくるが、エントリーしたら後は練習して当日を迎えるのみ。

 

最後までやり切ると決めたことは必ず達成できる。

逆に言うと人生の中で決めたことしか達成できない。

気付いたらトレラン30km完走してましたわ~!なんて人間はいない。

既に憂鬱だ……。

毎日振り返りの時間をもつ

人間は習慣の生き物だと言われる。

あまりピンと来ないが、確かにそうだと思う。

毎日大体同じ時間に起きて、大体同じ時刻に家を出て、電車では乗る車両は大体同じ。

車内ではいつもと同じ事をして、出勤したら同じようなテンションで同僚に挨拶をする。帰宅時間も大体同じで同じような流れで床に就く。

人間の行動を記録するカウンターのようなものがあれば、昨日と7割以上同じなんじゃないかと思う。

多くの人は習慣を意識してやっているわけではないと思う。

だから人生に対する物凄い影響力が習慣にはあると思う。

イチローのルーティンは最高峰の習慣だと思うが、多くの人はそんな意図をもった習慣を形成していないだろう。多くの人は無意識に今の習慣に浸かっている。

 

結構それは危険なことだ。

 

確かに習慣の中で生きることは何も考えなくて良いし、楽だ。

これから更に自分の人生をもっともっともっと良くしていきたいと思うなら悪い習慣を良い習慣に入れ替えていかなければならない。習慣の入れ替え戦だ。

私はタバコを吸っていたが、マラソンという習慣と入れ替える事で禁煙に成功した。

(毎回、話がずれていってしまう…)

 

入れ替え戦を行う為に効果的なのは

「寝る前に振り返りの時間をもつこと」

だと思う。

 

人間は自分の行動を自分の力でしか変えられない。

他人には変えてもらえないのだ。

 

今までの自分を振り返って自己評価して

「あ、これはまずかったな」

「こうしたら良いんじゃないか」

「明日からはこうしよう」

と寝る前に冷静に自分を振り返る時間をもつとおそらく人生は変わっていく。

昔流行った話だが、まさにこれだ。

【1.01】と【0.99】の法則が非常に深いと話題に - NAVER まとめ

NAVERのまわしものじゃないよ(笑)

 

5分でも寝る前に振り返りの時間や明日への準備の時間を取ると良い方向に人生いきます。これは間違いない。

まとめが適当になってしまった…。

人生はその人の解釈次第

働かずに毎日勉強している。最近は働いてお金を稼ぎたくてしょうがない。

自分で始めたのにも関わらず、既に働きたい。社会と繋がりたい。

今は収入がなく使うばっかりなので何だか辛い…笑

 

毎日、一緒に勉強してくれる人がいる。

偶然、カフェで再会した高校の同級生だ。

その人は司法試験の勉強をしている。

私の試験の多分、4倍くらい時間がかかるらしい。

テキストを見せてもらったが、全く分からない笑

 

毎日、昼食を共にするのだが、その時は雑談タイムになる。

 

30歳、独身、実家暮らし、無職という世間的には、やばいスペックの私だが、その人から言わせると私は「順風満帆の人生」らしい。

私からすると他の人と比べると自分はやばいと心のどこかで思っている。

 

その人から言わせると健康で自己実現に向かっている事が既に最高らしい。

まぁ確かにそうだ。世の中を見渡すと、それも叶わない人がいるのも事実。

 

だからある意味、私は幸せなのだ。

飯食って、うんこして、毎日勉強しているだけなのだから。

 

それに比べてたくさん収入を得ながら、不満足な人間関係に悩んで落ち込んでいる人だっている。

 

幸せかどうかはその人が決めているわけですな。

普通のブログですんません。

本当に大事な事は自分だけで決める

世の中、情報が溢れかえっている。

そのほとんどが発信者の思惑があったり、お金儲けが絡んでいたり、自分にとっては邪魔な情報だったりする。スマホにとり付かれている人の多くはこれ。このブログも人によってはそうかもしれない。ま、見たい方だけ見に来てください。

 

大人になると自分で判断して行動しないといけないと誰もが一度は聞く。

日本には「間違ってはいけない」という社会通念が何となく存在しているので間違う事は悪という捉え方が一般的だ。

だからみんな間違えたくないと思っている。間違えることは恥ずべきことだと思っている。私も実はそうだ。無駄な時間とお金を使いたくないと思っている。人から非難されるのを恐れいている。

 

ただ全ての人は間違える。100%うまくいく正しい判断はないのだ。

どんな大企業の社長さんだって、イケイケなベンチャーの社長だって間違いまくりだ。

イーロンマスクも詳しくは知らないが、険しい道をどんどん間違えながら進んでいる。

うまくいっている人は諦めずに行動の量が落ちない人。間違えたらほとんどの人はやり方を修正する。ほぼ自然と。

 

失敗をすれば、精神的なダメージは大きい。

あいつはできたのに俺はできなかった…など、しゅーんっと縮んでいってしまう気持ちになる。ただ成功する人間はめげずに成功するまでやめないから成功する。

 

節目節目でいろんな人が好き勝手にいろんなことを言ってくる。

それには良かれと思ったアドバイスも含まれる。

 

ただその情報を使って最後に判断するのは自分だ。

その時の判断が間違っていたとしても後から振り返れば、納得は出来る。

わけわかんない情報を元に勇気を出せずに決めてしまうのは良くない。

本当はこっちの方が良いと思ったけど、あの人がこう言ったからこうした。

という人は勇気が足りていないのかもしれない。自分で決めるのが怖いのだ。

 

人間は基本的に経験から学ぶ。経験から学んだことは本当に身体の中に残る。

逆を言えば、本当に大切なことは経験からしかはらに落ちないのかもしれない。

またそこからやり直せばいいだけだ。人生に遅すぎることなんて決してない。

能力の限界はあるのか?(2)

昨日の続き。

昨日のブログでは人間の能力には限界がないという事を書いた。

ただ私の知る限りではメジャーリーガーかつノーベル化学賞をとった人を知らない。

つまりふたつの分野で一人の人間が世界トップレベルの成果を出すのは事実を踏まえると無理のようだ。 

 

なるべく前向きなブログを書きたいと思っているが、さすがに人間の能力が無限だからといって上記のような人間になれる!というのは現代では無理だと私は思う。

 

ただ男であれば特に仕事で一角の人物になりたいと思うだろう。私はそうだ。

男にとって仕事は自己実現の場の一つだからだ。

お金ももらって家族を幸せにできるしね。

 

相当高い成果を出すには諸々意見があると思うが、一つの事をやり続けるのが王道だと思う。ここで相当高い成果というのは(その業界内では有名な人物)と定義する。

イチローも野球ばっかりやってきたし、孫正義もビジネスばっかりやってきた。

イチローはビジネスできないし、孫正義は野球できない。

 

一つの事をやり続けるという事は「時間」と「お金」を集中的に投下する事だと思う。

人生をかけて累積効果を使うわけだ。

 

話を戻すが人間の能力は一つのことに集中させることで相当な能力を発揮できる。

 

ただそこには条件がある。

 

その人物がその事に人生を賭けると決める事だ。

仕事で言うのであれば、一生その仕事をすると決める事だ。

 

私は30歳で3社の経験がある。

ポジティブな経験だと捉えているが、正直に言うと自分の一生賭ける仕事を探したり、決め兼ねていたというのが本音だと思う。

 

世の中にはいろんな仕事がある。

 

医者、芸術家、ビジネスマン、公務員、フリーター、掃除の人、新聞配達する人、スポーツマンなどなど超いろいろある。ビジネスマンの中にもいろいろある。

 

孔子の有名な言葉で

子曰く、吾 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。

という有名なものがある。

 

私はちょうど30歳。何を人生の仕事にしようか決めつつある。

20代はそれに必要な10年だったと自己評価している。

この決断を40歳でしていてもダメではないが、相対的には少し遅いかもしれない。

 

ある程度、人間には向き不向きはあると思う。

私は現時点で絵が超絶ヘタなので今から絵描きは向いていない。

(ただこれも繰り返せば克服できるはず)

 

自分が好きで、ある程度向いていて、その業界内でトップを目指したい!と思える仕事を認識できればその人は仕事については幸せだと思う。

 

私の場合は正直に書くと

新卒で入社した時、経理部に配属され、その後も何故か経理っぽい仕事が回ってきて、転職しても管理系の仕事が回ってきて、最初は地味だし、細かいし、イヤだなぁと思っていたが、やっていくうちに好きになって、自分にはこれしかないと思うようになり、これを極めようと約10年かけて思えるようになった。

だからこれからもこの業界で人生をかけてトップを目指したいと思う。

私が好きなのは会計と英語。

このふたつはビジネス界では全世界共通なので世界中で飯が食える。

そしてどの会社にも入っていけるという飽き性の私にはぴったりだ。

今からお医者さんになるのは得策じゃないし、やりたいとも思わない。

 

私の身の上話のようになってしまったが、要するに「決める」事です。

 

これから何が起ころうとこれに人生をかける!

そう思えた人にとっては能力開発に限界はない。

能力の限界はあるのか?

自分の能力はどこまで伸ばせるのだろうか。

われわれが思っている以上に伸ばすことができると思う。

私は今、図書館で勉強中の身だが、いろんな世代が勉強している。

小学生、中学生、高校生、大学生、若者、おじさん、おじいさん…。

 

私は今、英語で会計を勉強しているが学生の頃から考えれば、とんでもなく成長した。

 

中学生の頃はアルファベットを書くところから。

LとMとNの区別がつかず、VWXYZの順番すら間違えていた。

 

高校になって英文が何となく読めるようになって、難しい文章も読めるようになった。

ただその時は会計の借方・貸方の名前すら覚えられなかった。

借方、貸方って何?

それでも簿記3級をとって、簿記2級も三回落ちて取得できた笑

 

そんな過去があって今では英語で会計ができるようになった。

私は世の中的にも決して天才ではないので多くの人がこの程度のことはできるようにはなる。

 

おそらく能力を開発する秘訣は「反復すること」だと思う。

私は仕事で会計を扱ってきたので自然と慣れた。

英語も学生時代に繰り返し勉強したので素地ができた。

これは勉強に限ったことではなく、スポーツや芸術分野でも同様だと思う。

 

繰り返し、繰り返し、繰り返し、やることで「覚わる」。

 

どんなに頭が悪いと自称する人でも繰り返すことで覚えるというよりかはイヤでも記憶に残ってしまう。だから覚えようと頭を必死に抱えるより、繰り返す事の方が効果的だと思う。とにかく繰り返すことに集中するのだ。

 

イチローも素振りなどをアホほど、繰り返したはずだし、画家もアホほど絵を描いているはずだ。多分、素質みたいなものはそこまで関係がないはずだと思う。

 

ちなみに私はイチローとほぼ同じような身長・体重で野球経験もありますが、イチローにはなれませんでした。

 

練習量も違うと思いますが、一つ決定的に違う事があると思います。

それは

 

「この仕事を生涯の仕事にする」

 

と決めることだと思います。

ちょっと続きはまた明日!寝る時間なのでごめんなさい。

「世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ」

この記事は本当に安心してしまう。

corobuzz.com

リンク先をご覧下さい。(まわしものじゃないよ笑)

少し前、友達が仕事の愚痴を言いまくっていたので

「じゃ辞めればいいんじゃない?」とラインしたら連絡が途絶えた笑

 

軽率に仕事を辞めるなんて事はしないほうがいいが、

「そうだよな、じゃ辞めるか」と素直に思えて、実は別に本当はやりたい事があるならなら辞めた方がその人にとっては良い方向転換になるのかもしれない。

宮崎監督のように「うるせえな」と思いながらでもやると思えるなら続けるべきだ。

 

私にとってトライアスロンの練習はまさにそう。

私「行きたくないよぉ~(泣)」

私「じゃやめれば?」

私「でも練習しないと完走できない。完走したいから行きたくないけど行くよ~(泣)」

 

本当に行かないという選択をした人であれば、心からやりたい・達成したいことではないのかもしれない。

短期的なイヤイヤを蹴っ飛ばす力が本当の願望にはある。

少しイヤイヤしたとしても時間が経てば、結局はその事に吸い寄せられていく。

 

何となく流れていく生活を抜け出したかったら、目標や成果に向かって行動をするのが意識も時間も集中できて良いと思う。

 

私が良いという生き方は自分が本当に達成したい事に無駄なものを排除し、ただ粛々と淡々と生きていく生き方だ。

 

私が尊敬するイチローや宮崎監督が作り出すプレーや作品は何故、人を感動させるかというとその人が人生を賭けて作ったものだからだと思う。

やる事やってから悩む

多くの人はやるべき事をやる前から悩んでいる。

試験に受かるだろうか、好きなあの人からOKがもらえるだろうか、目標売上に到達するだろうか、などなど。

多くの人はまだ起こっていない出来事について勝手に不安になる。

そして行動が止まってしまう。悩んでいる間は行動が止まってしまう。

そしてうだうだして実現できなくなったり、諦めてしまう。

 

悩む前にその目標に向かってやるべきことは山ほどあるはずだ。

試験に受かるか悩む前にこれだけはやるということが示唆されていれば、まずそれをやる。その間は悩まなくて済む。とにかく行動する人は悩んでいる暇なんてない。

 

好きな人からOKがもらえるかなんて分からないけど、思いを伝えてみる。

目標売上に達するかどうかはわからないが、もう1件アプローチしてみる。

そしたら意外とOKだった!みたいな事は存分にある。

ただ行動しなければ、その結果は永遠に現れない。

私も一度だけ、スターバックスで所謂ナンパをしたことがある。

ずばりのタイプの女の子がいて、迷ったが思い切って声をかけた。

結局、2,3回デートに行くことができたがふられてしまった。

ただ自分の中でこの出来事は完了する事ができた。

あの時こうしていればどうなっていただろう…という漠然とした後悔はなく、むしろ男としての自信に繋がった。あの時、声をかけた自分をある意味、誇りに思う。

 

万策尽きたというところまでまず行動してみよう。

多分、万策が尽きるということはない。

そこまでいったらいったで次の前進するアイデアが浮かんでくる。

諦めない限り、目標には遅かれ早かれ近づいていくのだ。

 行動を止めてはいけない。目標を決めたらあとは進むのみだ。

結果をコントロールすることはできないかもしれないが、結果をコントロールできる可能性の高い行動をコントロールすることは100%できる。

 

悩んでいる時はある意味、余裕がある証拠。

やることやって明日に備えてさっさと寝てしまおう笑

悩みを吹き飛ばすほど行動するのだ。