エイチマンのブログ

トライアンドエラーそしてサクセス

人からのお願いを断ること

人からのお願いを断る事にとても抵抗がありました。

せっかく私を頼ってきてくれているのに断るなんて申し訳ないし、相手にどう思われるかすごく不安でした。

ただお願いはできる範囲で応えてあげれば良いと最近は思っている。

確かに書籍等には相手の願いには自分にダメージを与える程、120%で応えるべき!みたいな事が書いてあるけど、自分を犠牲にしてまで応える必要はないかなと思います。

自分の優先順位の高いものをまず実行する。そして自分が幸せになった上で、他人に尽くす。

自分がまず幸せだといえる状況にない中で相手に快く尽くすことなんてできない。

収入でいうと年収800万円くらいまでいくとお金に関しての満足度はそこまで変わらないらしい。

だからそれまでは自分を研鑽して能力を蓄える。

そしてたくさん稼いでまわりに少しでも貢献できるようになる。

 

自分ばっかり優先していても人生で幸福感を得ることは少ない。

少し寄付をしたり、周りの人の為にお金を使って喜んでもらうことこそ、人生に真の幸福感を与えてくれるんだと思う。

他人からどう思われるかに支配される人生は恥ずかしい。

人生は直感と決断と行動でうまくいく

久しぶりの投稿になってしまいました。資格の学習にも慣れてきて良い感じです。

 

私は自己啓発セミナーに参加したり、おそらく一般の人より多くの本を読んできました。ただ恥ずかしながら正直言って、自分の人生が思った方向に好転するということはありませんでした。知識はだいぶ貯まりました。

 

それは何故か。

 

決断と行動が足りていなかったからだと思います。

 

テーマにある「直感」は誰しも経験があると思います。

ふと頭の中に思い浮かぶ自分の理想や夢、目標、イメージなどです。

多くの人はたまに浮かんでは消えていくこのイメージを忘れてしまいます。

まずこのイメージをないがしろにせず、大切にする事。

多分それがあなたが自分の人生で叶えたとしたら幸福感を得ることができる事だから。

何回も思い浮かぶことは手帳やノートにメモしておくと良いですね。

 

ではそれを叶える事にしましょう。

 

多くの人はそこでそんなことは少し難しいんじゃないか。

現状ではそれとこれは両立できない。

あれが足りない、これが足りないとなるわけです。

諦める人が多いわけです。

そこで必要なのは「決断」です。

 

聞き飽きた言葉かもしれませんが、決断とは決めて断つことです。

決めるというのは自分のその願いを必ず叶えると決めることです。

決めるわけです。どんな障害があってもそれを叶えると決める。

人生を賭けて叶えにかかるわけです。

 

そこで決めたら次は断つことです。

あれが足りない、これが足りない。

現状ではそれとこれは両立できない。

当然だと思っていた事を手放すのです。

例えば仕事を辞める。お付き合いしている人とお別れする。

毎日のお酒を断つ。引越しをする。離婚をする。

 

えー、そんなことできない!と思うことほど、効果が高いかもしれません。

そこでそれを手放したら次は

 

行動することです。

最初はうまくいかないかもしれません。ただ長時間、たくさん行動することで効率の良いやり方は自然と分かるようになり、できるようになってきます。

 

行動さえすれば人生は必ず変わっていきます。

 

人生が思うように変わっていかない人は行動をせずにさぼっているか、駆け出して途中で諦めているかのどちらかです。

 

行動あるのみ!どんどんやりましょう。

貧乏は悪だ!

終電を逃した為、大学時代の友人宅に泊めてもらった。

彼は私よりも2歳年上で学生時代は一緒に学生団体のリーダーをしていた。

大学を卒業して十数年。彼の生活はあまり変わっていなかった。

 

ザ・男の学生一人暮らしといった室内は少し散らかっていて、男の匂い。本棚には自己啓発本が並んでいて、貯金してるか聞くとちょろっとしかないと言っていた。十数年前もこんな感じだったはずだ。タイムスリップした感覚すら覚えた。

 

もっと良い所に引っ越した方が良い!と提案したが、現在の環境が心地よく、引っ越す気になれないそうだ。自分でも認識していたが、怠けのようだ。

確かに男の一人暮らしは心地よい。寝て起きてウンコができて、エッチな動画を見れれば、その他の条件なんてどうでも良いといっても過言ではない。

 

ただ彼には能力はある。宝の持ち腐れ状態だと思った。

 

当時一緒に学生団体をしていた別の友人は大企業に飛び込んで、東京の一等地にローンを組んでマンションを買っている。不遇な理由で離婚をした為、広いマンションに一人暮らしらしい。

 

頑張り方はどうあれ、男は家族や守るものを背負って、稼ぐのが健全な気がする。

人間は残念ながら弱い。ご他聞にもれず、あなたも私も。

背負い込んで稼いで何かを残すのと

一人で怠けてそれなりの生活というのでは環境を選択するという意味で前者の方が男は幸せなのではないかと感じる。

 

貧乏でいるのは自分の選択であり、ある意味、怠けの結果だとも言える。

金持ちを揶揄する人間がいるが全く持って筋違いな気がする。

その人はお金がない人に比べてたくさん働いてお金を集めたのだ。

 

だからお金がある人は頑張っていて、お金がない人は頑張っていない

 

といっても良いと思う。極端な言い方がが、貧乏は悪い!

ストックとフロー

会計にはストックとフローという考えがある。

ストックとは現時点の「持ち物」でフローとはその持ち物の「流れ」だ。

会社でいうとゼロのところからだと

お金を借りる→商品を仕入れる→商品を売る→お金が手元に残る

という流れの中でお金という資産を獲得する。

 

話を単純化するが、フローがないところにはストックは集まらない。

手元に1億円あったとしてもそれを動かさない限り、ストック(持ち物)は増えない。

 

自分がどんなに能力があって見た目も良くて、超稼げるスペックだったとしても家で寝ていたら1円も稼ぐことができない。

物が動く摩擦熱みたいなものが価値なのかもしれない。

プラスの価値もあるし、マイナスの価値もあるけど、動かさない限り何も生まれない。

 

だからとにかく動く。何か停滞しているなぁと思ったら、家でおとなしくしてないで方向性は置いといてとにかく動く。これが正解だと思う。

 

自分という資産を動かしてプラスのフローを生める人は資産が増えるし、資産を動かせない人、あるいはマイナスのフローを生む人は貧しくなっていく。会社と個人も同じですね。

求めているものが分かっていないと人生が浪費する

私は商社から転職した時、何を求めて転職したのかその時には具体的にはなかった。

「何となくここではないなと思ったから」というのが理由になる。

次の会社で5年働くことになるわけだが、ここで自分の求めているものを明確にせずに働いていたら今頃どうなっていたんだろうと思う。

私が求めているものを明確にしていたらこの5年間はもっと有意義になっていたと思う。

皆さんは自分の人生がどこに向かっているのか分かっているだろうか。

 

私がこの5年間で再確認したのは人生は思った通りになるということだ。

『思考は現実化する』という名著にあるそのまんまだ。

 

ただそこで重要なのが、その叶えたい事に必要な「犠牲」は惜しみなく払うこと。

それはお金だったり、時間だったり、はたまた石にかじりついてでも勉強しなくてはならないのであれば、その勉強である。

自分が逃げるのは本当に簡単にできるし、逃げても大人なんだし、大丈夫だ。

ただ自分の求めるものからは自ら遠ざかっていく。

 

どんなことがあってもできるようになるまでやり続ける。

この不退転の決意と実行が伴えば、自ずと成功するわけだわな。

 

今年の流行語大賞は『暑い』で決定!

この暑いという言葉を地球の冷却に使えるシステムがあったら私は世界一の金持ちに慣れる気がする。

悩むべき所を間違えない

悩みは悪いものではない。

人は現状に満足しておらず、もっと今より良くなりたいと思うから悩むのだ。

 

ただ悩むところを間違えてはいけないと思う。

私は今、勉強中の身だ。今の最も重要な目標は試験に合格して資格をとること。

 

私の思い描いている事としては合格後、監査法人かコンサル会社に入って仕事がしたいと思っている。

 

そこで私は毎日、これからどうしていこうか考える。

合格したらどの監査法人に入ろうかなぁ、年収はいくらになるかなぁ…。

軌道に乗ったら税理士の資格もとりたいなぁ、そしたら副業ができるなぁ…。

と夢を膨らますのは良いが、ここで悩むのは明らかに間違っている。

 

何故ならそこで悩んでも私の人生は1mmも変わらない。

私が悩むべきなのは目の前の試験にどのように合格するか1点のみだ。

次のことではなく、「今」のことで悩まなければならない。

 

何を考えるかの自由は私達人間に与えられた最高の自由だ。

確かに何を考えるかは自由だが、効果のあることについて悩むべきだと思う。

次の事を考えるくらいなら今日の昼飯に何を食べるかの方が大事かもしれない。

「どうして」ではなく「どうしたら」

思うように勉強が進まない時、例えば問題が難しくて解けない時、苦しい。

「どうして俺はできないんだろう…」と多くの人は考えてしまいがちだ。

 

①「どうして」できなんだろう

②「どうしたら」できるようになるだろう

 

この時、①か②を考えるかでその人の人生は大きく変わっていくだろう。

常に①を考える人は自分にできることしかできなくなると思う。

②を考える人は試行錯誤しながらも目標に辿り着くことができるはずだ。

①と②を選ぶ瞬間は日常に本当にたくさん用意されている。

どちらを選択するかは本人に100%委ねられているわけだから②を選ぶほうがいいかもね。

 

全然、話が変わるが私は今、何故勉強しているんだろうとふと思う。

世の中的には若いとはいえ、良い年齢だ。

 

私は高校から大学にかけて勉強をした覚えがない。

何とか塾と周りの力でそこそこの大学にいき、そこそこの職に就いた。

有難い事に他力できた感じすらする。

 

神様的には「もう少し自力でやったらもっとよくなるぞ」と言ってくれていると解釈している。

この年齢で100%自分の自己実現に時間を使えている今の境遇に感謝しないとな。

勉強頑張ろう。

ライン上に乗っている感覚

はてなブログをやっている人の更新がどんどん少なくなってなんだか寂しい気分。

試験の約1ヶ月前です。間に合うのか緊張感があります。

 

真剣にやると緊張感があります。

それはこれだけやってきたのにダメだったらどうしよう…という気持ちがあるからです。

僕は簿記2級に3回落ちたことがあります。

落ちた3回は全て緊張感なく、こりゃ落ちるっしょと思いながら会社の経費を使って余裕綽々でやってました。

1年下の後輩が入ってきて次合格しないと後輩に抜かされるというプレッシャーでお尻に火がつき、合格しました笑

その時は不安と緊張がかなりありました。そしてそれなりに勉強しました。

 

人間という生き物は言い訳の天才であり、本当に怠惰な一面がある生き物だと思います。(すごい可能性もあるんだけどね)

世の中、怠惰じゃない人間なんていないと思います。

みんな楽したいと思うんです。みんな普通の人だと思うんです。

 

スポーツの世界でも僕が大好きなイチローやボクシングの村田だって元々は普通の人だと思うんです。というか多分今でもそうだと思います。知らんけど。

 

ただ期限を設けてそこに向かってやせ我慢しながら頑張ってるだけだと思うけどな。

弱いからこそ、期限をきって挑戦していくんじゃないかな。

弱いからこそ、周りに宣言して自分を追い込んでいくんじゃないかな。

 

挑戦してる最中って周りの声ってあまり気になりません。

挑戦してない人間ほど、自分以外のいろんなことに気をとられて反応してワーワー言う側にまわってるんだと思います。

挑戦している人は分かってます。あ、こいつやってるなって。

 

目に集中力がない人間は目が死んだ魚みたいな目になってます。

昨日図書館でスマホを見てる女子高生を眺めてたら恐ろしくなりました。

目が死んでるんです。まさにウシジマくんに出てくるような負の顔をしてました。

目が死んだ人間は魂が抜けてるみたいで怖いです。

 

先週お会いした社長は50歳前だったけど、目が小学生みたいに輝いてました。

というか小学生みたいでした。ビジネスで遊ぶ小学生。

頭も切れてて徳も才もある感じでした。

自分もそんな風になる!

 

あ、話が脱線してしまった。

緊張感があるというのは良い状態ということ。

ある意味、成功のライン上に乗っている状態だと僕は思っています。

そこから外れている時は鼻にもかからない感じです。

 

だから緊張感がある状態はまさに目標達成に近づいている時です。

だから緊張感に負けずに進みましょう!期限を切ることが大事ね。

成長する必要はないが、成長したい

自ら成長に対して身を投じて必要は決してないが、自分の中で成長しないというのは無しだ。

全く成長しなくても家族とは幸せに暮らせるだろうし、そこそこの給料を得て経済的にも不自由のない生活を送ることはできる。

ただ自己実現という意味では私は物足りない。

 

自己実現というのは人間の欲求の中で最も高度な欲求らしい。

ご飯が食べれて人間関係も幸せで仕事もそこそこ出来るようになったら、自己実現という領域に入れるらしい。

 

確かに紛争地帯に住んでいたり、難民だったら自己実現は二の次だと思う。

明日食う飯が欲しいだったり、爆弾落ちてこないかなだったり、そちらに意識が向く。

 

そういう意味で日本は最高に恵まれた国だ。

だからこそこの現状に感謝して世界に貢献していくべきなんだと思う。

 

最近、日本のテレビがやっている内容はくだらなさ過ぎる。

BSで世界のニュース番組がやっているのでそちらを観るようになった。

今日やっていたのはウミガメの保護について。

真偽は定かではないが正直、芸能人の不倫よりウミガメさんが絶滅しそうな方が問題だ。

 

世界の中の自分を意識した方が良いと思う。

人生の半分は社会から求められる事をして、半分はしたい事をする

先日、経営者の方にお会いして雑談をしてきた。

その方が仰っていたことで印象的だったことが今日のテーマ。

『人生の半分は社会から求められる事をして、半分はしたい事をする』

世の中的には働き方改革やyoutuberのような好きなことして食っていく的な流れがある。

自分のしたい事を仕事にするのは全然OKだが、それが社会から求められていなければ金銭を得て食っていくことはできない。

企業家はまさにドラッカーが言うように『顧客の創造』をした為、うまくいっている。

 

勘違いするとまずいのはまず社会が先にあるという事。

自分が先にあると思うと本当に自分のしたい事をして何でうまくいかないんだろうと悩むことになる。

 

自分の家の近くにフクロウの手作り雑貨を売っている多分、個人商店がある。

朝早くから夜遅くまで営業しているが、お客さんがいるところを見たことがない。

(通販とかで儲けてたらすいません…)

この人は多分、フクロウが好きで手作りが好きでそれを仕事にしたんだと思う。

(食っていくレベルなら問題ないのかな)

 

良い悪いではないのだが、金銭的にも成功したいのであれば、踏み外さない方がよい。

私もかつて釣りが好きで釣具屋でバイトしたことがあったが、面白みは少なかった。

 

私は他の人より数字に少し強くて、新しいことを知ることが好きで、企業の役に立つことにやりがいと感じる性質がある。

 

自分が得意で、好きで、社会から求められている事を仕事にできれば幸せかもしれない。そして得たお金で自分の家族を幸せにし、趣味も楽しめば人生面白いことしかない。

試験勉強

世の中にいろんな資格試験がある。

試験というものは自分の頭の中にある知識を試験という紙面に再現できるかどうかという事に気づいた。

どれだけ理解していたとしても試験で再現できなければ、不合格となる。

 

ただしっかりと論理を理解していれば、ある程度問題の形式を把握しておけば、応用されても解ける。

 

私もそうだが、テキストの内容を詰め込もう詰め込もうとするからしんどいわけであって…詰め込むことが重要なのではない。

 

問題を繰り返し解く中で必要な知識だけをアウトプットできるようになることが重要なのだ。

 

テキストの隅々を覚えなくてもこれはこうだったなと思えれば、問題は解くことができるわけだ。

 

さ、アウトプット多めで勉強頑張ろう!

自分のモチベーションを計るひとつの基準

たまに昔働いていた会社の前を通ることがある。

とても立派に見える時と普通の建物に見える時がある。

 

たまに前の会社に出戻りして働いている夢を見る。

 

たまに昔付き合っていた彼女が夢に出てくることがある。笑

 

昔付き合っていた彼女がひどく恋しく思えるときがある。

 

私が自分のモチベーションを判断する要素として過去に引っ張られているかどうかといういうものがある。

 

今が思い通りいっていなく、少し落ち込んでいる時、過去に避難したくなる。

逆にうまくいっている時は昔の決断を誇らしく思えて、更に未来に向かおうという気持ちが生まれてくる。

女性より男性の方がこういう傾向があるような気がする。

 

過去は固定されているものなのでしがみつくことができるが、

未来は未確定であり固定されていない不確実なものだからしがみつけない。

そして未来は自分で創らなければならない。

 

20代は大学から新卒までの惰性で生きてこれた感は多少あるが、これからは自分が思った未来を作っていかなければならない。

当たり前だけど、答えを教えてくれる人なんていない。

自分が納得できる未来を、結果を作っていく。

それに向かう過程で人生を感じる事ができるんじゃないかな。

 

人生は思い通りになる。これは多分、真実だ。

花火より月の方がきれいだと言える人

学生の頃に読んだ本に今日のテーマが書かれていた。

花火大会をやっている中、多くの人は花火をきれいだというが、その横に浮かんでいる月の方が綺麗だと言える人間が良い…みたいな話だったと思う。

学生の頃はふ~んって感じだったが、10年経った今でもその言葉が印象に残っている。

何故それに共感できるのかこの歳になって分かってきた。

 

結局、人生はその人の納得感で決まるということだと思う。

 

YMOというアーティストがいたが、いち早くコンピューターを音楽に取り入れたグループだ。800万くらい借金してアメリカからシンセサイザーを購入したらしい。当時はコンピューターが音楽に使われるなんて日本では受け入れられなかったそうだ。

でも当事者の人達はコンピューターと一緒に音楽をやるのが楽しかったそうだ。

そこに周りからの目は関係ない。自分達が楽しい!やりたい!と思った事をやったのだ。

 

絵描きさんも自分の納得のいく絵を描くために人生賭けている。その絵に何百万みたいな価値がつくから面白いんだけど。誰に何と言われようと自分はこれ!と行動できる人間になりたいと思います。

 

チャップリンの言葉に

「Life is desire,not meaning.」という言葉がある。

 

散々やりたいことやれ!みたいなブログを書いているが、

やりたい事に必要な努力は惜しまずやりましょう!

人間としての責務

西日本豪雨のニュースは心が痛む。

幸い私の地域では河川が氾濫しそうだったが、ギリギリおさまった。

 

私達は生まれる場所を選ぶことができない。

物心ついた時から自分であることに気付く。

 

もしかしたら日本じゃなくて韓国や中国、アメリカ、ヨーロッパのどこか、中東、アフリカ、南米…どこに生まれていたかなんて分からない。

 

もしかしたら私の家で飼っている犬に生まれていたかもしれない。

(そう考えるともう少しかまってあげた方がよいかも…)

 

何にせよ日本は国としては相当恵まれた国に入ると思う。

世界トップレベルだと思う。

(昔フランス人から日本は残された最後のパラダイスだ!みたいなことを言われた)

 

私達は健常者であれば人並みに稼いで不自由なく暮らすことができる。

ただ日本国内でもその人が悪いわけでもないのに不自由な暮らしを強いられている人だっている。

極端な例がアフリカの紛争地帯に生まれていたら飢餓状態になっていたかもしれない。

 

何だかそれを考えると私達は稼いだお金をふさわしく使うべきではないかと思う。

何も自分の生活を圧迫するような寄付等は必要ないが、男性であれば無駄な飲み会に参加したり、エッチなお店に通うお金やキャバクラに通うお金があれば、もっと良い使い方があると思う。

 

よく事業家が最後に稼いだお金を寄付したりするが、素晴らしいと思う。

まぁその人が稼いだお金だから何しようが自由というのもわかるが…

 

私は経済学部を卒業しているが、唯一経済の授業で習ったことがある。

それは1年生の経済の授業の1回目の冒頭で先生が話した内容だ。

 

「経済」という言葉の語源は中国の「経世済民」という言葉から来ている。

 

経世済民

  • 世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。▽「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意。「経世済民」を略して「経済」という語となった。

 

だから世の中のリーダー達は正しくお金を裁く義務があると思う。

一生懸命勉強して立派になったらその人は世の中を良くしていくという使命が与えられるのではないでしょうか。

 

という事で西日本豪雨で被害にあった方に5,000円寄付します(やすっ!)

人を大事にすると良いことがある

人とのつながりを大事にすると自分では起こせないことが起きる。

東京にいる大学からの友人と東京に行った際にこちらから声をかけて食事をする。

 

その友人から連絡があり、人を募集しているから社長と面談してくれと連絡をもらった。しばらく働くつもりがないので断ろうかと思ったが、これも何かの縁なので情報交換という体で来週社長さんにお会いする事にした。

これは自分ひとりの力では起こせない出来事だ。

 

はたまた些細なテーマだが、私は今、車を持っていない。

私の地域は地方なので1人1台みたいなレベルで車を持っている。

私は高校生ばりに自転車で移動している。身体も鍛えられてお金もかからなくてとても自由で経済的で気に入っている。周りの人からは驚かれるが、全く問題ない。これが心地良いのだ。

 

たださすがに自転車ではきつい場所もある。

その時には誰かが車に乗せてくれる。当然だが、無償で。

もしその人との繋がりがなかったら私はそこまでタクシーで行かなければならない。

多分3,000円くらいかかると思う。すごく短期的な話だか、その人との繋がりには少なくとも3,000円の価値があることになる。(極端に表現しますよ)

 

「人気」(この話の場合。「ひとけ」「にんき」と読んでOK)があると金が集まる。

「人気」があるお店は繁盛するし、「人気」がないお店は貧乏になる。

「人気」がある会社は人を採用できるが、「人気」がない会社は人を採用できない。

「人気」がある人は助けてもらえるが、「人気」がない人は助けてもらえない。

 

「人気」というのはおそらく、人を大事にする人に集まる。

 

相手にお金を使うと私からお金が減ってしまうが、その分が相手に残る。

まるで簿記の債権債務のような状態で。

ここからは予測だけど、まともな人に使えばそれは投資になる。

恩とも何とも思ってない人に使えば、その債権は相手に償却されてしまう気がする。

 

だから相手選びは重要だし、ケチはいけないと思う。

適切な相手には惜しみなくお金をかけるのが良いと思う。