h-man1987’s blog

商社勤務から地元に戻り、夢を叶える人間のブログ。

自分のモチベーションを計るひとつの基準

たまに昔働いていた会社の前を通ることがある。

とても立派に見える時と普通の建物に見える時がある。

 

たまに前の会社に出戻りして働いている夢を見る。

 

たまに昔付き合っていた彼女が夢に出てくることがある。笑

 

昔付き合っていた彼女がひどく恋しく思えるときがある。

 

私が自分のモチベーションを判断する要素として過去に引っ張られているかどうかといういうものがある。

 

今が思い通りいっていなく、少し落ち込んでいる時、過去に避難したくなる。

逆にうまくいっている時は昔の決断を誇らしく思えて、更に未来に向かおうという気持ちが生まれてくる。

女性より男性の方がこういう傾向があるような気がする。

 

過去は固定されているものなのでしがみつくことができるが、

未来は未確定であり固定されていない不確実なものだからしがみつけない。

そして未来は自分で創らなければならない。

 

20代は大学から新卒までの惰性で生きてこれた感は多少あるが、これからは自分が思った未来を作っていかなければならない。

当たり前だけど、答えを教えてくれる人なんていない。

自分が納得できる未来を、結果を作っていく。

それに向かう過程で人生を感じる事ができるんじゃないかな。

 

人生は思い通りになる。これは多分、真実だ。

花火より月の方がきれいだと言える人

学生の頃に読んだ本に今日のテーマが書かれていた。

花火大会をやっている中、多くの人は花火をきれいだというが、その横に浮かんでいる月の方が綺麗だと言える人間が良い…みたいな話だったと思う。

学生の頃はふ~んって感じだったが、10年経った今でもその言葉が印象に残っている。

何故それに共感できるのかこの歳になって分かってきた。

 

結局、人生はその人の納得感で決まるということだと思う。

 

YMOというアーティストがいたが、いち早くコンピューターを音楽に取り入れたグループだ。800万くらい借金してアメリカからシンセサイザーを購入したらしい。当時はコンピューターが音楽に使われるなんて日本では受け入れられなかったそうだ。

でも当事者の人達はコンピューターと一緒に音楽をやるのが楽しかったそうだ。

そこに周りからの目は関係ない。自分達が楽しい!やりたい!と思った事をやったのだ。

 

絵描きさんも自分の納得のいく絵を描くために人生賭けている。その絵に何百万みたいな価値がつくから面白いんだけど。誰に何と言われようと自分はこれ!と行動できる人間になりたいと思います。

 

チャップリンの言葉に

「Life is desire,not meaning.」という言葉がある。

 

散々やりたいことやれ!みたいなブログを書いているが、

やりたい事に必要な努力は惜しまずやりましょう!

人間としての責務

西日本豪雨のニュースは心が痛む。

幸い私の地域では河川が氾濫しそうだったが、ギリギリおさまった。

 

私達は生まれる場所を選ぶことができない。

物心ついた時から自分であることに気付く。

 

もしかしたら日本じゃなくて韓国や中国、アメリカ、ヨーロッパのどこか、中東、アフリカ、南米…どこに生まれていたかなんて分からない。

 

もしかしたら私の家で飼っている犬に生まれていたかもしれない。

(そう考えるともう少しかまってあげた方がよいかも…)

 

何にせよ日本は国としては相当恵まれた国に入ると思う。

世界トップレベルだと思う。

(昔フランス人から日本は残された最後のパラダイスだ!みたいなことを言われた)

 

私達は健常者であれば人並みに稼いで不自由なく暮らすことができる。

ただ日本国内でもその人が悪いわけでもないのに不自由な暮らしを強いられている人だっている。

極端な例がアフリカの紛争地帯に生まれていたら飢餓状態になっていたかもしれない。

 

何だかそれを考えると私達は稼いだお金をふさわしく使うべきではないかと思う。

何も自分の生活を圧迫するような寄付等は必要ないが、男性であれば無駄な飲み会に参加したり、エッチなお店に通うお金やキャバクラに通うお金があれば、もっと良い使い方があると思う。

 

よく事業家が最後に稼いだお金を寄付したりするが、素晴らしいと思う。

まぁその人が稼いだお金だから何しようが自由というのもわかるが…

 

私は経済学部を卒業しているが、唯一経済の授業で習ったことがある。

それは1年生の経済の授業の1回目の冒頭で先生が話した内容だ。

 

「経済」という言葉の語源は中国の「経世済民」という言葉から来ている。

 

経世済民

  • 世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。▽「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意。「経世済民」を略して「経済」という語となった。

 

だから世の中のリーダー達は正しくお金を裁く義務があると思う。

一生懸命勉強して立派になったらその人は世の中を良くしていくという使命が与えられるのではないでしょうか。

 

という事で西日本豪雨で被害にあった方に5,000円寄付します(やすっ!)

人を大事にすると良いことがある

人とのつながりを大事にすると自分では起こせないことが起きる。

東京にいる大学からの友人と東京に行った際にこちらから声をかけて食事をする。

 

その友人から連絡があり、人を募集しているから社長と面談してくれと連絡をもらった。しばらく働くつもりがないので断ろうかと思ったが、これも何かの縁なので情報交換という体で来週社長さんにお会いする事にした。

これは自分ひとりの力では起こせない出来事だ。

 

はたまた些細なテーマだが、私は今、車を持っていない。

私の地域は地方なので1人1台みたいなレベルで車を持っている。

私は高校生ばりに自転車で移動している。身体も鍛えられてお金もかからなくてとても自由で経済的で気に入っている。周りの人からは驚かれるが、全く問題ない。これが心地良いのだ。

 

たださすがに自転車ではきつい場所もある。

その時には誰かが車に乗せてくれる。当然だが、無償で。

もしその人との繋がりがなかったら私はそこまでタクシーで行かなければならない。

多分3,000円くらいかかると思う。すごく短期的な話だか、その人との繋がりには少なくとも3,000円の価値があることになる。(極端に表現しますよ)

 

「人気」(この話の場合。「ひとけ」「にんき」と読んでOK)があると金が集まる。

「人気」があるお店は繁盛するし、「人気」がないお店は貧乏になる。

「人気」がある会社は人を採用できるが、「人気」がない会社は人を採用できない。

「人気」がある人は助けてもらえるが、「人気」がない人は助けてもらえない。

 

「人気」というのはおそらく、人を大事にする人に集まる。

 

相手にお金を使うと私からお金が減ってしまうが、その分が相手に残る。

まるで簿記の債権債務のような状態で。

ここからは予測だけど、まともな人に使えばそれは投資になる。

恩とも何とも思ってない人に使えば、その債権は相手に償却されてしまう気がする。

 

だから相手選びは重要だし、ケチはいけないと思う。

適切な相手には惜しみなくお金をかけるのが良いと思う。

子供のような大人として生きる

誰しも子供の頃はあった。

小学生の頃、私はとにかくザリガニを獲りまくったイメージだ。

地域のザリガニを全部とってしまうのではないかというぐらいにザリガニの場所をくまなく知り尽くしていた。とにかくザリガニを取ることに執着し、熱狂していた。

頭で考えず、身体がザリガニを求めて操られているようだった。

とにかく捕まえたいのだ、とにかく。理由はない。ザリガニを渇望していた。

今はそんなことはしない。ザリガニがいたらしばらく眺める程度だ。

 

誰しもそんな経験ってあるのではないか。訳もないのに没頭してしまう事。

誰から言われたわけでもないのにやってしまう事。

 

大人になると「社会常識」を身につける。

人間社会で生きていく上で大事なことなんだけど、この「社会常識」とは誰が作っているもので私達の人生にそこまで重要なものなのだろうか。

 

子供の頃、公共の場で大声を出したら親から注意された。

まぁそりゃ他人に迷惑をかけるのでNGなわけだが、大人になった今、公共の場で大声を出せと言われたら大人の方ができないかもしれない。

子供は訳なんかなく、声を出すという衝動につき動かれて、とっさに大声を出す。

とにかくやりたいのだ。訳もなく。

 

私達でもとにかくやりたいことがあると思う。

私も海外のIRONMANを完走したいと思うし、子供が2人欲しいと思うし、年収は1,000万欲しくて、アラスカで釣りがしたいし、経済的にも精神的にも幸福でいたく、人生を味わいつくしたいと思っている。

そこに理由なんてない。

とにかくやりたい!食べたい!知りたい!行ってみたい!体験したい!ただそれだけ。

 

でも大人はそこに「でも…」が入る。

この「でも」を作っているのが「社会常識」だと思う。

 

子供はとにかくやってみたいのだ。そしてその後、学ぶ。

あ、これはやっちゃうとこうなるのね。

 

でも自分の「やりたい!」という衝動を無下にするとまず自分が幸せになれないんじゃないかなと思う。

 

絵描きさんとかミュージシャンとかは自分に誠実で素直でそれを貫いた結果なんじゃないかと思う。

もしかしたら私も世界一のザリガニおじさんになれたかもしれない。

今は全然なりたくないが…。

実績がその人を定義する

会社に勤めてはいないが、名刺交換の機会があるので名刺を作ることにした。

知り合いのデザイナーの方に依頼したのだが、

・肩書きや一言で自分を表す言葉

・名刺を見ただけでこの人は何の役に立つ人なのか覚えてもらえる言葉

を教えてくださいと言われて悩んでしまった。

 

会社に属していれば○○株式会社○○○○部エイチマンと入った名刺が勝手に出来上がる。

フリーになるという事は自分で自分が何者なのか名乗らないといけない。

自分で自分を定義する必要がある。

 

名刺なのでウソも書けないし、将来なりたいものを名乗るわけにもいかない。

まぁ堂々と名乗る人もたまにいるが、依頼があった場合、責任がとれないので私の場合、それはなし。

 

書けることと言えば自分がお金をもらっても良いこと、つまり今まで経験したことしか書けないことに気づいた。自分が経験した業務や自分が勉強して他の人より詳しい事。他の人とはあたま1個出ていること。

 

これは当たり前のことだけど今まで全く意識していなかった。

新卒の会社を辞めた時、その地域では優良企業だったので名刺を出せば、おぉ、そこに勤めてらっしゃるのですね、となった。

確かにその時、この看板が外れても働ける人間になりたいと思った。

 

なのでその名刺には自分がやってきたことを分かりやすく書くことにした。

今やっていることが自分をまさに形作っていることを認識した。

 

皆さんだったらどうどうと名刺に何て書きますか?

そして今、書くことがなかったとしても5年後は何て書きたいですか?

そこに向かって毎日行動するのが重要ですね。

勉強はOSの更新に似ている

短いけど、忘れないように。

勉強はパソコンや携帯のOSの更新に似ている。

たまに携帯で通知が来るやつですね。

 

前回のブログにも書いたけど、私には勉強する時間が必要だと思う。

確かに勉強せずに、実務が最も身になるんだ!という意見もある。

私もそれは賛成だが、実務では手に入れられない知識もある。

緊急ではないが、重要性が高いものだ(その人にとって)

 

パソコンはしばらくの間は、問題なく動作する。

ただ更新を全くしなかったらどうなるだろうか。

私が子供の頃はWINDOWS95というのを使っていたが、当時は充分だった。

ゲームができるし、ペイントができるし、エッチなサイトだって見れた!

当時は画期的だったが、今も更新をせずにWINDOWS95を使っていたらどうなるだろう。

特有のゴゴゴゴゴという音を立ててフリーズするしかない。

多分、今まともに使える機能と言えば電卓機能くらいだと思う。

電卓はおそらくこれから10年も存在しているだろう。

ただ電卓はおそろしく安い。

販売当初の電卓は50万ほどしたそうだが、今は100円で買える。

 

電卓機能しかないような人間になってはいけない。

年に何回もある更新はやらなくても問題ないが数年おきの更新はたまに必要かもしれない。

 

年に1回父親が20年前のパソコンで年賀状を刷っているからすごい。